自己内昭和歌謡ブーム

先日の「秋の大森歌謡祭」でなんとなく昭和な雰囲気に浸り、黄粉ちゃんが沢田研二とか歌うもんだから(ちなみに「時の過ぎ行くままに」でした)、そおいや私沢田研二大好きだったのよねと思い出し、昨日の夜はようつべで沢田研二を漁っていて、そしたら止まんなくなっちゃってずるずるずるずる見続けて、「時の過ぎ行くままに」とか「カサブランカ・ダンディ」とか「勝手にしやがれ」とか、ううんやっぱ阿久悠はすげえなあとか思ってたところで折りしもhilocoさん宅でも阿久悠の話題が出てたりして*1、にわかに私の中で昭和歌謡ブームの嵐が吹き荒れ、「鉄は熱いうちに打て」って情熱が熱いうちにじゃんじゃん打っとけや! というわけでTSUTAYAにていろいろ借り込んできたんでした。
で、現在のBGMはこれ。

何故か2が置いてなかったので1と3を。
昨晩さんざんようつべで画像見てて思ったんだけど、ジュリーってやっぱめっちゃ綺麗なのなー。歌ってるとことか最高にカッコイイ…! なんか、「ジュリーの前にジュリーなくジュリーの後にジュリーなく」みたいな。


先月、明和電機の電協イベント「社長と屋形船」に参加したときに、昭和40年前後生まれくらいの世代の人たちのバックグラウンドを形成するカルチャーってやっぱアニメとテクノなのかなーとか思ってたんですが、プラス阿久悠なのね。たぶん。社長もリクエストカラオケ引く際に「来い、阿久悠!」なんて唱えてたもんなそういや。ピンクレディーとか振付けほぼ完璧だったしなー。

私は現代アートに詳しいわけではないんで以下のことは単なる印象でしかないんですが、このくらいの世代(昭和40年前後生まれ)で気鋭のアーティストとしてばりばりと活躍している人が多いことを考えると、現代アートを牽引してるのは実はアニメとテクノと阿久悠なのかも。なんつうて思ったり。

私はピンクレディー沢田研二も、その全盛期をリアルタイムに経験したというにはあまりに幼い年齢だったわけで、これらのことはギリギリ「懐かしい」と言うことが許されはするけれど、その「経験」はたぶんに後々の情報に左右された追体験でしかないわけで。

私の世代は彼らの世代からちょうど10年ほど遅れた世代なので、彼らが「時代の空気」として共有していたカルチャーを、彼らを通じておっかけてるということになるんだろう。
だから何だといういうわけではないんだけど、例えば私らの世代が10年後に発信していることに対して、はたしてひと世代後の人たちはどういう追体験をするんだろうか、なんて思うと、我々のバックグラウンドを形成しているカルチャーって何ぞや、ってあたりが見えてこないなあ、と、ふと思ったんでした。
追体験されるような、まとまった「何か」があるのかしらん。あるのかも知れない。私がその潮流が見えてないってだけかもしれないし、あるいは10年後にその全貌が見えてくるのかも知れない。
でもなんとなく、我らの世代って共有するものが極端に少ないような気がしてしまう。
それは良し悪しの話ではなく、ただ実感としてそういう感じがする、ってだけの話なんですが。

選択肢がたくさんあって、潮流に流されることもない、個人の時代? 個性の時代? しかし個性も敷衍すると均一になるのかもな。何ですかね、私はこの「どこにも属してなさ」が不安なのかも知れません。だから今になって昭和歌謡に惹かれるのか? 考えすぎか。


まあそんなことぶつぶつ考えながらジュリーを聴いている今夜。阿久悠をどっぷり聴きたい。あとなかにし礼とか。